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2016年12月20日更新
魚津水族館 (HP) 電話0765-24-4100 富山県の急流にすむ淡水魚から、日本海の沿岸、沖合そして深海にすむ生物を展示。 また、世界各地にすむ珍しい魚や面白い習性をもつ生物たちも展示しています。 人気者のフンボルトペンギンやダイバーによる餌付けなども人気です。 魚津埋没林博物館 (HP) 電話0765-22-1049 魚津埋没林博物館は、「埋没林」と「蜃気楼」、富山湾の2つの不思議に出会える博物館です。 「埋没林」とは、文字どおり“埋もれた林”のことで、約2,000年前に埋没した樹齢500年の原生林の樹根が発掘した状態で保存・展示されています。貴重な資料のため、国の特別天然記念物に指定されています。 また、蜃気楼に関する資料の展示や大型ハイビジョンでの上映もあります。 しんきろうロード 経田漁港から、ミラージュランドまでの海岸道路。 道沿いの蜃気楼展望地で蜃気楼が見られるかも? ありそドーム (HP) 電話0765-23-9800 高さ46mの展望塔からは、美しい富山湾や立山連邦が眺められます。 ミラージュランド (HP) 電話0765-24-6999 魚津水族館に隣接したレジャーランド。 日本海側最大の観覧車が目印です。 魚津歴史民俗博物館 (HP) 電話0765-31-7220 魚津駅から車で10分程の天神山の中腹にあります。 吉田記念郷土館、歴史民俗資料館と旧澤ア家との3つの建物からなる魚津の歴史スポットです。 〔入館無料〕 魚津城の戦い(魚津城跡) 戦後時代、織田信長が天下統一を目指し、上杉軍との戦いを繰り広げる中、「上杉家の悲劇」とも呼ばれた、天正10年(1582)「魚津城の戦い」の舞台となった場所です。 (「魚津城の戦い」について、詳しくはこちらのページをご覧下さい。) 松倉城跡 鹿熊字城山(標高430m)に築かれた山城で、越中でも有数の規模をもつ山城といわれています。 1583年に落城するまで越中東部の中心として繁栄しました。 天神山城跡 松倉城の支城の一つで、上杉方の重要な中継拠点でした。 魚津城の戦いの折、越後の上杉景勝が後詰として陣を敷いた所として有名です。 万灯台 江戸時代の終わり頃、魚津港最初の灯台として暗夜の航路を守ると共に台中に地蔵菩薩を安置して海上安全を祈願していました。 油屋12軒へ360貫を貸し渡した利息を油代にあてたことから、この灯台の明かりは消えることがなかったといいます。 上杉謙信の歌碑とときわの松 越後の上杉謙信が越中に進軍した際、初秋の魚津城の地にて鎧を着けたまま万感の想いを込めて口ずさんだものとされています。 そばには、謙信ともゆかりのある「ときわの松」が植えられています。 米騒動の発祥の地・魚津 (旧十二銀行の米倉) 大正7年、米価高騰に苦しんでいた猟師の主婦ら数十人が、米の積み出しをやめるよう要求し、米騒動はここから始まりました。 銀行の社屋や倉庫が当時のおもかげを残しています。 洞杉群 (どうすぎぐん) 南又谷流域標高500〜700m付近の、推定樹齢500年以上天然スギ群生地。 古木で幹に空洞があることから洞杉(どうすぎ)と呼ばれ、実に最大直径が16mのものもあります。 蛇石(龍石) (へびいし) 南又谷蛇石橋の上流側川原にある「蛇石」は、すぐそばにある龍石祠のご霊代の石として「龍石」ともよばれ、雨乞いの石として知られています。 片貝山ノ守(やまのもり)キャンプ場 (HP) 電話0765-32-7755 自然を感じながらハイキング、オートキャンプやバーベキューが楽しめます。 海の駅蜃気楼 (HP) 電話0765-24-4301 魚津の鮮魚や特産物、お土産コーナー、レストランなどがあり、朝市や浜焼きなど、様々なイベントも開催されています。
富山県の急流にすむ淡水魚から、日本海の沿岸、沖合そして深海にすむ生物を展示。 また、世界各地にすむ珍しい魚や面白い習性をもつ生物たちも展示しています。
人気者のフンボルトペンギンやダイバーによる餌付けなども人気です。
魚津埋没林博物館は、「埋没林」と「蜃気楼」、富山湾の2つの不思議に出会える博物館です。 「埋没林」とは、文字どおり“埋もれた林”のことで、約2,000年前に埋没した樹齢500年の原生林の樹根が発掘した状態で保存・展示されています。貴重な資料のため、国の特別天然記念物に指定されています。 また、蜃気楼に関する資料の展示や大型ハイビジョンでの上映もあります。
経田漁港から、ミラージュランドまでの海岸道路。
道沿いの蜃気楼展望地で蜃気楼が見られるかも?
高さ46mの展望塔からは、美しい富山湾や立山連邦が眺められます。
魚津水族館に隣接したレジャーランド。
日本海側最大の観覧車が目印です。
魚津駅から車で10分程の天神山の中腹にあります。
吉田記念郷土館、歴史民俗資料館と旧澤ア家との3つの建物からなる魚津の歴史スポットです。
〔入館無料〕
戦後時代、織田信長が天下統一を目指し、上杉軍との戦いを繰り広げる中、「上杉家の悲劇」とも呼ばれた、天正10年(1582)「魚津城の戦い」の舞台となった場所です。
(「魚津城の戦い」について、詳しくはこちらのページをご覧下さい。)
鹿熊字城山(標高430m)に築かれた山城で、越中でも有数の規模をもつ山城といわれています。
1583年に落城するまで越中東部の中心として繁栄しました。
松倉城の支城の一つで、上杉方の重要な中継拠点でした。
魚津城の戦いの折、越後の上杉景勝が後詰として陣を敷いた所として有名です。
江戸時代の終わり頃、魚津港最初の灯台として暗夜の航路を守ると共に台中に地蔵菩薩を安置して海上安全を祈願していました。
油屋12軒へ360貫を貸し渡した利息を油代にあてたことから、この灯台の明かりは消えることがなかったといいます。
越後の上杉謙信が越中に進軍した際、初秋の魚津城の地にて鎧を着けたまま万感の想いを込めて口ずさんだものとされています。
そばには、謙信ともゆかりのある「ときわの松」が植えられています。
大正7年、米価高騰に苦しんでいた猟師の主婦ら数十人が、米の積み出しをやめるよう要求し、米騒動はここから始まりました。
銀行の社屋や倉庫が当時のおもかげを残しています。
南又谷流域標高500〜700m付近の、推定樹齢500年以上天然スギ群生地。
古木で幹に空洞があることから洞杉(どうすぎ)と呼ばれ、実に最大直径が16mのものもあります。
南又谷蛇石橋の上流側川原にある「蛇石」は、すぐそばにある龍石祠のご霊代の石として「龍石」ともよばれ、雨乞いの石として知られています。
自然を感じながらハイキング、オートキャンプやバーベキューが楽しめます。
魚津の鮮魚や特産物、お土産コーナー、レストランなどがあり、朝市や浜焼きなど、様々なイベントも開催されています。
〒937-8555 魚津市釈迦堂1-10-1 TEL:0765-23-1025 FAX:0765-23-1060
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