蜃気楼

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蜃気楼とは

蜃気楼は、空気中で光が屈折するために5~20km離れた景色が実際とは違う形に見える現象で、上位蜃気楼(=春の蜃気楼)と下位蜃気楼(=冬の蜃気楼)の2種類があります。

春の蜃気楼(4月から5月に多い)は、実際の風景の上側に、伸びたり反転した虚像が出現します。富山湾の海面上に冷たい空気が層をつくり、その上の暖かい空気とのあいだで急に密度が変わるときに出現します。以前は、立山連峰から富山湾に流れ込んだ春の雪どけ水が空気を冷やすと考えられていましたが、近年は、雪どけ水はほとんど関与せず、気温や風の動きが最も密接に関与していると考えられています。

冬の蜃気楼(11月から3月に多い)は春とは逆に、実際の風景の下側に反転した虚像が見えます。これは、冬の冷たい空気が暖かい海水に接するところで暖められ、春とは逆の温度勾配になり、光の屈折の仕方も逆になるのが原因です。

春の蜃気楼は、平年で4~5月に10~15回程度しか出現しません。また、毎年ほぼ確実に出現する場所も、魚津のほか滋賀県大津市など限られています。

冬の蜃気楼は、冬の間は視界さえよければ毎日のように出現し、富山湾に限らず全国各地の海岸で見ることができます。

蜃気楼写真1
バーコード状に伸び上がった蜃気楼(1999年5月22日)

蜃気楼写真2
反転と伸びが混在した蜃気楼(2001年5月13日)

蜃気楼写真3
実景(富山市岩瀬方面)

蜃気楼の定義と種類

蜃気楼は、大気中の温度差(=密度差)によって光が屈折を起こし、遠方の風景などが伸びたり反転した虚像が現れる現象です。よく、「どこの風景が映るの?」という質問を受けますが、実際にそこに見えている風景が上下に変形するだけで、ある風景がまったく別の方向に投影されるわけではありません。

蜃気楼には大別して上位蜃気楼と下位蜃気楼とがあります。上位蜃気楼は、実際の風景の上側に伸びや反転した虚像が見えるものをいいます。下位蜃気楼は逆に、実際の風景の下側に虚像が見えます。

魚津で普通「蜃気楼」といえば、上位蜃気楼をさします。下位蜃気楼と区別するため「春の(春型の)蜃気楼」と呼ぶこともあります。魚津では下位蜃気楼を「冬の(冬型の)蜃気楼」と呼んでいます。冬の蜃気楼は、一般的には浮島現象、浮景現象などと呼ばれ、原理的にはアスファルト道路や砂漠などに見られる「逃げ水」と同種の現象です。

このほか、大気の密度差が垂直方向でなく水平方向に形成される場合も想定され、その場合は像の変化も横方向になると考えられます。水平方向に虚像が現れるタイプの蜃気楼の観測例はほとんどありませんが、九州の八代海(不知火海)の“不知火(しらぬい)”がそれに相当すると考えられています。

蜃気楼のしくみ(光の屈折の仕方と見え方)

上位蜃気楼も下位蜃気楼も、大気中で光が屈折して発生します。物体はあらゆる方向に光を反射していますが、そのうち私たちの目に見えるのは一部だけです。大気中に温度差がないとき光は直進するので、物体と目を直線で結ぶ方向の光だけが目に見えます。

ところが、冷たい空気と暖かい空気が重なり合い、その境界の狭い範囲で空気の温度が連続的に変化するような場合、そこで光の屈折が起きます。このような層の中では、光は温度の低い(=密度の高い)方へ屈折しカーブを描きます。そのため、上が暖かく下が冷たい空気層では、上へ向かう光線の一部が屈折して下へ戻り、観察者の目に届きます(凸形にカーブした光線、下図上のa-b-gやa-d-f)。

逆に、下が暖かく上が冷たい空気層では、下へ向かった光線の一部が屈折によって上へ戻ってきます(凹形にカーブした光線、下図下のa-b-gやa-d-f)。

蜃気楼写真4

人は、途中でどんなに光が曲がっていても、目に入ってくる直前の光の方向に物体があるようにしか見えません(上図のa-b-cやa-d-e)。したがって、凸形のカーブで届いた光では実際の風景の上側に虚像が見え、凹形のカーブで届いた光では下側に虚像が見えることになります。どちらの場合も、冷たい空気の部分を直線的に届く光(上図のa-fやa-g)によって実景そのものも見えます。

つまり、下が冷たく上が暖かい空気層によって凸形カーブの屈折が起きたときが上位蜃気楼、下が暖かく上が冷たい空気層によって凹形カーブの屈折が起きたときが下位蜃気楼になります。

蜃気楼を引き起こす空気層のでき方

上位蜃気楼は、下が冷たく上が暖かい空気層によって引き起こされます。通常、地表から高度が上がるにつれて気温は下がりますが、上位蜃気楼が起きる空気層ではこの関係が逆転しています。高度と気温の関係が逆転するので、このような空気層を逆転層といいます。実際の観測値などから、魚津で上位蜃気楼が見られるときの逆転層の高さはおおむね10m以下、上下の温度差は1~5℃程度と考えられます。

では、富山湾にどのようにして逆転層ができるのでしょうか。これについてはいろいろな説がありますが、次の2つが代表的なものです。

•富山湾に冷たい雪解け水が流れ込み、それによって大気の下部が冷やされる
•海上にある低温の空気の上に、日中の陸地で暖められた空気が流れ込む

現在は、後者の説が有力と考えられています。今後の研究によって解明が進められれば、また新たな説が生まれる可能性もあります。いずれにしてもその機構は複雑でいろいろなパターンがあると思われるので、一つの説で蜃気楼のすべてを説明することはできないかもしれません。「謎が残されている方がロマンがある」という意見もあります。

次に下位蜃気楼の場合を考えてみましょう。下位蜃気楼では、下が暖かく上が冷たい空気層によって光が屈折します。通常、暖かい空気は冷たい空気より軽く、上昇・拡散してしまうので上部より下部の方が暖かい状態では安定した層はできません。それを解く鍵は、冬の大気と海水の温度の関係にあります。

冬は気温が下がりますが、冷えにくい水の性質のため海水温は急には下がりません。そのため、冬には気温より海水温の方が高い状態になります。これによって、海面に触れる大気の下部が常に暖められることになります。暖められた空気は上昇・拡散しますが、海面付近では常に暖かい空気が作られるので外見上、下が暖かく上が冷たい空気層の形になっているのです。この暖かい空気の層は、目線より下、海面から高さ1m以内と考えられます。

この下位蜃気楼の原理は、太陽で熱せられた地面の上にもあてはまり、それが道路の逃げ水や砂漠の幻の湖を作り出します。

蜃気楼の出やすい条件

富山湾で上位蜃気楼の出やすい条件には、次のようにある程度の目安があります。

•時期:(3月下旬~)4月~5月(~6月上旬)
•時間:午前11時ごろ~午後4時ごろ(それ以前、それ以後の例外もある)
•気温:18度以上の場合が多い(朝の冷え込みがあって日中の気温が上がるのがよい)
•風 :魚津の海岸で北北東の微風(おおむね風速3m以下)
•天候:移動性高気圧の中心が本州の東の海上に抜けて当日は晴れ、翌日頃から天候が崩れそうな日。等圧線の間隔が開き、強い風が吹かない状態。

もちろんこれらに当てはまらない例外もありますが、この条件がそろえば可能性が高いと考えてよいでしょう。

富山湾では、上位蜃気楼は、例年ならば上記の時期の間に10~15回程度発生します。ただし、その中には双眼鏡でようやく識別できる程度のものも多く、実際に肉眼でも蜃気楼を楽しめるのは5回もあるかないかです。

上位蜃気楼の回数はその年によってかなり変動があります。微妙なものを含めトータルで5回ぐらいしか発生しない年もあれば、20回以上発生した年もあります。(過去の記録はこちら)

また、持続時間もその日の条件によりまちまちです。数分で終わってしまうことも多い一方、出たり消えたりしながら半日以上も続くこともまれにあります。

下位蜃気楼の場合は、11月~3月頃の寒い時期で視界がよければ毎日のように見ることができます。それ以外の時期にもしばしば見られ、ときには真夏でも条件によっては見られることもありますが、確実に見るなら冬です。冬には、視界さえよければ気温や風の状態にはあまり関係ないようです。

上位蜃気楼の形

上位蜃気楼は、下が冷たく上が暖かい空気層で光が屈折するという基本原理に変わりはありません。しかし「同じ形のものは2度と現れない」と言われるほどその形は変化が多く、見る人を魅了します。その形には、次のようないくつかのパターンがあります。

反転

蜃気楼写真5
建物群の上に反転像が現れ、背中合わせになっている上位蜃気楼。1994年4月6日、魚津埋没林博物館から黒部市生地(いくじ)方向。

蜃気楼写真6
実景

伸び

実景が実際より高く上へ伸びて見えます。全体が一様に高く伸びて板塀状に見える場合や、所々が欠けてバーコード状に見える場合等さまざまな変化があります。望遠鏡などで拡大してみると、風景がただ伸びて見える場合もありますが、倒立像が実景とつながって伸びたように見えるものも多いようです。微妙に普段とは建物の高さが違うなど、肉眼ではわからないような場合もあります。

蜃気楼写真7
バーコード状に伸び上がった上位蜃気楼。1999年5月22日、魚津埋没林博物館から富山市方向。

蜃気楼写真8
実景

縮み

上位蜃気楼で反転や伸びの像変化が見られる前後などに、風景や船が平たく縮んで見えることもあります。このとき望遠鏡などで注意して観察すると、直下の海面が蜃気楼になって上へ伸び、その分風景や船が縮んでいる場合が多いようです。

以上が上位蜃気楼の基本的なパターンですが、逆転層の状態は時間や方向によって異なり、それによって蜃気楼もいろいろと変化します。対象物の距離によっても蜃気楼の形は変わります。蜃気楼の観察時は、あらゆる方向に常に注意して見逃さないことが肝心です。

蜃気楼写真9
上位蜃気楼で伸び上がった大型船と反転した背景。遠近の差によって伸びと反転の違いが生じている。2001年5月13日、魚津埋没林博物館から新湊市方向。

蜃気楼写真10
沿岸の建物群が太陽光を反射し、上位蜃気楼によって伸び上がっている。2001年5月13日、魚津埋没林博物館から新湊市(富山新港)方向。

下位蜃気楼の形

下位蜃気楼は、上位蜃気楼に比較すると形の変化に乏しいといえます。「伸び」と「浮き島」に区別できますが、いずれも基本的には下方へ反転した虚像によるものです。実景と下方の反転像とがつながって伸びたように見え、実景が低い場合はその上の空や背景が下に映り込むので空中に浮いた浮き島に見えます。浮き島の変形として、水平線付近の海面がうねりや波の加減でちぎれて空中に浮くように見えることもあります。

蜃気楼写真13
下位蜃気楼で浮き島状になった富山市岩瀬方面。

蜃気楼写真14
下位蜃気楼で浮き島状になった氷見方面の丘陵。

蜃気楼写真15
下位蜃気楼で宙に浮いて見える船。よく見ると下に反転像がくっついている。

蜃気楼の見える方角

魚津の海岸からは、北北東に黒部市生地、北から西にかけて能登半島と氷見市、西から南西へ向かって高岡市、新湊市、富山市岩瀬、水橋、滑川市までを見渡すことができます。

蜃気楼は、対岸の風景や沖の船舶などが変形する現象ですが、すべての方向のものが同時に変形することはほとんどありません。そのときの条件によって、黒部市生地だけであったり、富山市付近だけであったり、あるいは時間とともに黒部方向に現れた後に富山方向が蜃気楼になったりします。

蜃気楼観察に、あると便利な道具と知識

蜃気楼は光が屈折してカーブを描くために起きますが、実際の屈折の角度は非常に小さいので、目に見えるほどの像変化を引き起こすには、普通は5㎞以上の距離が必要です。魚津からよく蜃気楼になって見える場所の例では、黒部市生地までが約8.5㎞、富山市岩瀬付近までは15~20㎞にもなります。その分風景は小さく見えます。

また、蜃気楼は、横方向の広がりに対して縦(高さ)は非常に小さな現象です。蜃気楼の見かけの高さを角度で表現すればおよそ0.1~0.2°程度(人間の視野はほぼ180°)しかありません。表現を変えれば、1m先に置いた5円玉の穴の直径よりも小さいので、これでは肉眼で十分に観察するのは困難です。さらに蜃気楼には程度の差があって、肉眼でも変形がわかるものもあれば、高倍率の望遠鏡などでやっと判別できるくらいの微妙なものもあります。

そこで活躍するのが双眼鏡です。10倍程度の、軽くて明るい双眼鏡があれば言うことなしですが、7倍くらいでも観察に使えます。しかし2~3倍のオペラグラスなどではほとんど役に立ちません。逆に12倍以上の大型双眼鏡は、三脚などに固定する場合は別として、手持ちでの観察には不向きです。

双眼鏡のほかに蜃気楼を見るのにあればよいものとして、メモ帳、帽子や日傘、日焼け止め、折りたたみ椅子、飲料水などが挙げられます。メモ帳には蜃気楼の出た日時、蜃気楼の様子、蜃気楼について聞いた話など何でも書き込んでおけば、後で役に立ちます。新聞の天気図などを貼っておいてもよいでしょう。

また春の蜃気楼はいつ出るか分からないので、長時間海岸の日差しの下で待つことになります。そんなときに帽子や日傘、日焼け止め、折りたたみ椅子などが役に立ちます(ただし日傘は周りの人の視界を妨げないように注意しましょう)。暇つぶしの本やラジオもあればなおよいでしょう。日射病予防のため水分補給にも気を付けましょう。

そのほか、昼食時にかかることがあらかじめわかっていれば、弁当があった方がよいです。どこかへ食べに行ったり買いに行ったりしている間に蜃気楼が出たら、悔やむことになります。暑い日には、弁当が傷まないようにクーラーバッグに入れるなど注意しましょう。

もう一つ大事な予備知識として、「蜃気楼を見るなら海岸で」ということが挙げられます。蜃気楼は光の微妙な屈折による現象で、それを観察できる高さの範囲は狭いのが通例です。

また、蜃気楼の原因となる逆転層の高さもおおむね10m以下と考えられるので、それより上となる位置からは蜃気楼が見えなくなります。したがって、海がよく見渡せるからといって高い展望台などに上っても望みはかなわない場合が多いでしょう。ただし、対象物までの距離が十分に遠い場合は、多少高い位置からでも観察できることがあります。

また、蜃気楼は慣れないとそれが蜃気楼なのか実景なのか、分からない場合があります。このページやその他解説書などを活用して、蜃気楼がどのように見えるものなのかを予習しておくことをお奨めします。

蜃気楼の撮影

すばらしい蜃気楼を見たら、それを画像として残したいと思うのが人情です。写真でもビデオでも、蜃気楼の撮影にはそれなりの機材が必要になります。

写真の場合

近年は、デジタルカメラ(デジカメ)がフィルムカメラに取って代わりました。カメラにはおおまかにコンパクトタイプと、レンズ交換が可能な一眼レフタイプがあります。蜃気楼の撮影には高い倍率が必要なので、交換レンズの種類が豊富で超望遠レンズが取り付けられる一眼レフカメラが一般に適していると言えます。一眼レフは高価な機種が多く、カメラを新たに購入される場合は、購入予算画質などへの自分のこだわりも含めての選択になると思います。

現在は、カメラ本体の性能は一定レベルには達していると思われるので、大事なのはレンズの選択です。蜃気楼の撮影には、多くの場合、焦点距離400~500mm相当(35mm判換算)以上の超望遠レンズが必要です。500mmは望遠鏡で言えば10倍に相当します。それ以上の600mmや800mmならなお良いでしょう。(デジカメの場合は、同じレンズでも倍率が異なりますので注意が必要です。カタログなどに35mm判換算で何mmなどの数値があればそれで換算できます。)

超望遠レンズは、ブレに注意が必要です。手振れ補正機構を備えた機種もありますが、超望遠では三脚とリモコンシャッターを使う方が無難です。

ビデオの場合

写真は瞬間を切り取りますが、それでは表現しきれない蜃気楼もあります。刻々と連続的に変化する蜃気楼の姿を記録するのに、ビデオは強力な武器です。多くのカメラは、特別に望遠レンズをつけなくても、本体内蔵のズーム機能だけで蜃気楼の撮影に使える倍率が得られます。

ビデオでは、現場での撮影はもちろんですが、その後の編集作業が大切な意味を持ちます。撮影した元の映像そのものはマスターとして保存すべきですが、観賞あるいは公開するためには、別にコピー・編集するのが普通です。特に蜃気楼は変化がゆっくりしている場合が多く、動きに乏しいので、効率よく見られるように編集する必要があります。

今やビデオ専用のカメラではなく普通のデジタルカメラやモバイル機器でも動画が撮影できるようになり、機器の境界があいまいになってきました。自分のスタイルに合わせて使いやすいものを選びましょう。

三脚について

写真やビデオのすべてに共通して絶対必要なのが三脚です。拡大率が大きくなればなるほど、わずかなブレでも画質に影響します。ブレた写真や動画ではせっかくの蜃気楼が台無しです。最近のデジタル機器では、手ぶれ補正機能がかなり普及していますが、蜃気楼のように高倍率での撮影が必要な場合には、三脚の使用を推奨します。また、三脚は軟弱なものではあまり意味がありません。脚がしっかりしてぐらつかないものを選びましょう。また、エレベーター式雲台は伸ばさずに使用した方が無難です。

蜃気楼と歴史

人類が蜃気楼を認識した歴史は古く、紀元前の中国にまでさかのぼります。中国では、司馬遷がまとめ紀元前91年ごろに成立した「史記」のうち、天文や気象の現象などを記述した「天官書」に、蜃気楼の語源となる「海旁蜃気象楼台」という一節があります。その意味は、「海旁(海のそば)の“蜃”の気は楼台(=高い建物)を象(かたど)る」となります。“蜃”という名の生物は、16世紀末に李時珍がまとめた「本草綱目」などには、大型のハマグリの仲間と、龍類の蛟(みずち)の仲間の2種類が収録され、蜃気楼を作り出すという意味の説明がどちらにもあります。ハマグリの蜃と龍類の蜃とは同名異物で、もとはどちらか一方だけが蜃気楼の“蜃”だったのが、同じ名前のためにいつのころからか混同され、その後はどちらも蜃気楼を作り出す生物として伝えられるようになったと考えられます。現在では大ハマグリとするのが一般的ですが、本草綱目などの記述から考えると、元は龍類の方が蜃の正体だったと推定されます。

インドでは、2~3世紀ごろに成立したと考えられる「大智度論」という書物の巻第6に、目には見えても実体がない存在のたとえの一つとして蜃気楼を意味する乾闥婆城(けんだつばじょう)が挙げられています。

日本では、元禄11年(1698年)に駒谷散人が著した「北越軍談」中に、永禄7年(1564年)に上杉輝虎(謙信)が魚津で蜃気楼を見たという記述があります。もしこの記述が真実ならば、国内の蜃気楼の記録としては最も古いものになり、16世紀中ごろまでには既に魚津の蜃気楼が認知されていたことになります。しかし「北越軍談」は上杉謙信の死後100年以上を経てから刊行されたものであるため、真偽は不明です。

確実な文献記録としては「北越軍談」の刊行より以前、寛文9年(1669年)に加賀藩に仕えていた儒学者、沢田宗堅(さわだそうけん)が魚津の蜃気楼を詠んだ漢詩を収めた「寛文東行記」(寛文紀行とも)が、国内で見られた蜃気楼を記述した文書としては現在判明している最も古いものとなります。

沢田宗堅よりも少し後、やはり加賀藩に仕えた儒学者の室鳩巣(むろきゅうそう)も魚津の蜃気楼を詠んだ漢詩を残しています。「早発魚津」と題されたこの漢詩は地元で親しまれ、大正~昭和初期の魚津で発行された蜃気楼の絵はがきにもよく刷り込まれていました。

また、1700年代に入って記された「魚津古今記」では、加賀前田家五代・前田綱紀(1643-1724)が魚津で蜃気楼を見、吉兆と喜び「喜見城(きけんじょう)」と名づけたと伝えられています。

同じ加賀前田家十一代・前田治脩(はるなが)は、1797年4月に江戸から金沢への道中に魚津で蜃気楼に出会い、家来に蜃気楼の絵を描かせました。

魚津以外の国内の蜃気楼については、東北地方の蜃気楼を記録した菅江真澄(すがえますみ)の紀行文と絵図や、四日市の蜃気楼を紹介した東海道名所図会や浮世絵など、江戸時代半ば以降に、記録が増えてきます。

また、美術工芸の分野でも、ハマグリと楼閣を組み合わせた「蜃気楼文様」が、江戸時代半ば以降に広まり、陶磁器、漆器、絵画、着物、袱紗、欄間彫刻、刀の鐔、根付、祭の山車の彫刻や幕、傘鉾などさまざまなところに用いられるようになりました。龍類の蜃も霊獣の一種として、江戸時代以降、寺社の銅製品の装飾に用いられる例が見られます。

江戸時代に中国から多く輸入された「本草綱目」やその他の書物が蜃気楼の普及につながっているのではないかと思われます。

蜃気楼図小皿
蜃気楼図小皿(個人蔵、江戸末期)

龍類の蜃の飾りがついた銅灯篭
龍類の蜃の飾りがついた銅灯篭(東京上野東照宮、江戸前期)